メッセージ
メッセージ : 朽ちないものが始まる
投稿者 : mi 投稿日時: 2012-10-31 22:18:34 (1589 ヒット)

 


 


 



 


決して変わらない愛が存在すると信じて、白馬に乗った王子様がやってくるのを待っている女性は、まだこの時代にもいるでしょう。そんなものは存在しないと無残な現実生活に疲れ切っている既婚者たちの方が圧倒的に多いかと思いますが、聖書は大胆な発想を提供してくれています。朽ちるものと朽ちないものの世界観です。何が朽ちるもので、何が朽ちないものか。それはそのままの意味合いで受けとめてよいでしょう。私たちの肉体は朽ちるものです。つまり、一人の人間の存在で誰かを愛するということも・・・、やがては朽ちてしまうものだということです。どれだけ一人の男性が、一人の女性を一途に愛し続けたとしても、それは一世代、長くても100年そこそこで終わってしまう出来事です。少し恋愛への水差し論的で申し訳ないですが、決して恋愛に対して偏見を持っているわけではないのです。朽ちないもの、つまりは普遍的なものを知りながら、今を生きるということがどんなことなのか、それがどれだけ私たちの世界観を変えるかというお話です。


 


朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。


ここで、あなたがたに奥義を告げよう。


わたしたちは眠り続けるのではない。


朽ちるものは必ず朽ちないものを着、死ぬものが死なないものを着るとき、


聖書に書いてある言葉が必ず成就する。


神はわたしたちの主イエス・キリストによって、


わたしたちに勝利を賜ったのである。


汽灰螢鵐15章50〜57節(抜粋)


 


現実の生活が全てではないということを聖書は教えてくれています。自分が努力して繰り広げられる世界だけではない、朽ちない世界があることを示しています。それがどんなものであるのか、まるで非現実的なおとぎは話のようで、馬鹿げていると思う人もいるかもしれませんが、もし、そういった話がなくて、本当に私達が自分の力だけで生きていかなければならないとしたら・・・。うまくいっている時はともかく、行き詰まった、大変な危機に直面した時などは、自ら死を選ぶしかなくなる時がやってくるかもしれません。コンピューターゲームのようなそんな簡単な人生を私たちは送っているのでしょうか。だとしたら、空しすぎて頑張る気など微塵も湧いてこないのではないでしょうか。


 


聖書が教えてくれている、朽ちない世界は、朽ちるこの身体がありながら体感できるものです。現実的には、人に裏切られたり、最悪の展開になって明日が来ないでほしいと思う日々を送らなければならない時があるでしょう。そんな時、朽ちない世界があることを思うと、心の逃げ場が生まれます。それは一時的な逃げ場などではなく、実は現実が大きく朽ちない世界へと変えられていくきっかけであったりするのです。それが体験できるのは、すでにイエス・キリストという実在の人物が何かを成し遂げくれているからです。だから死をも恐れない、どこからか不思議なパワーの源を感じる瞬間を味わいます。それはおとぎ話や、根拠のないパワーではなく、はっきりとした根拠に基づいたものです。イエス・キリストが朽ちない思いで私たちのことを思って死んだから。そして、信じ難いかもしれませんが、生きかえってそのまま天にあげられたからです。在りがたいお話ですが、それがおとぎ話なら、世界中で人生が変えられる経験をして、自らの持てるものを使ってイエス・キリストを語ろうとする人はそんなに出現しないでしょう。イエスの不思議体験をした世界の人々は、本当にど根性のある人たちばかりです。


 


だから・・・・。


 


愛する兄弟たちよ。


堅く立って動かされず、


いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。


主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、


あなたがたは知っているからである。


汽灰螢鵐15章58節


 


この言葉を、理屈抜きで実践できてしまう、不思議なモティベーションが、イエス・キリストとの出会いを通して湧いてくるのです。このコリントの人たちにあてた聖書の言葉は、かつてクリスチャンたちを殺していたパウロという人の言葉です。イエス・キリストを信じている人たちを次々に処刑していた人が、イエスの声を聞くという体験をして変えられたのです。


それぞれに違ったキリストとの出会い体験があると思います。でもそれは何か奇異なことではなく、ごくごく私たちの生活に身近なこととして起こります。また誰にも知られたくないような、プライベートな領域の事柄で、ユニークな方法での体験であったりします。もし、今あなたの現実生活が行き詰まりを感じていたり、人生が空しく、何の生きがいもないと感じるならば、この「イエス・キリストを感じる体験をさせてください」と祈ってみてください。それが、朽ちない世界観で生きることの始まりになります。そこから、現実に左右されない強いモティベーションが湧いてきます。実感としては、極めて静かで分かりにくいですが、確実です。そしてものすごく耐久性があります。そんなモティベーションで人を思うことができるなら、どんなにか毎日の家族生活が変わることでしょう。短期間の劇的ビフォーアフターとしての変化ではないかもしれませんが、確かに現実的な、それでいて普遍的なものへのつながりです。政治や社会が混沌として、いろんなことがモメがちな日本の社会ですが、それに嘆いて不平を言い続けて終わる人生は面白くありません。私たちは自分が変われるという希望がありますし、普遍的なものとのかかわりの中で生き、活動していくことができるものとされているのです。それはたとえこの身体が朽ち果てたとしても、朽ちることのない何かをして生きているという実感がある生き方です。聖書が書かれた時代には、現代のようなメディアやテクノロジーは一切ありませんでしたが、こんなにも長く広く普及しているのです。そんな不思議な普遍的計画の中に生きるものとされている。それを知ることが、朽ちないものの始まりです。


 


 


 


 


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