投稿者 : mi 投稿日時: 2014-05-30 23:24:16 (1103 ヒット)

 


この教会がこの地に建って、今年で60年になります。当時この辺りはまだ空き地でした。そこへ初めてとなる教会堂ができたのが1954年。それから5人の牧師たちによりバトンが引き継がれ現在にいたります。


 


「教会の敷居は高くてどうしても行きにくい」と思われがちなのがよくわかるので、この60周年を機会にゴソッと敷居をなくす企画を打ち出してみました。落語、クラシック、ゴスペルライブ、バザーなどの盛り沢山な催しです。普段着でお気軽に来ていただけると嬉しく思います。


日程:2014年 6月29日(日) 神愛60th フェスタ 11:00〜12:00 バザー お昼 ランチ ゴスペル 落語 道具屋 聖書 説教 礼拝



 


 


 


投稿者 : mi 投稿日時: 2014-02-02 22:58:36 (967 ヒット)
東北支援

 


2013年が明けた頃、東松島の方々は自然に「私たちも何かできることをしよう」と思い始め、手芸クラブが発足しました。そして手縫いでたくさんの小物の制作が始まりました。


 



 



 


そこで私たちは、生地を集めて現地に送ることにしました。


すると送った生地が作品になって届けられました。


 



 



 



 


委託販売も行っています。


お気軽にお問い合わせください。


 


 


 


 


 


投稿者 : mi 投稿日時: 2014-02-02 22:11:30 (846 ヒット)
東北支援

 


 


2011年の1st ステップから時はすでに2年も流れての2ndステップのアップになりますが、あれから東松島への支援は途絶えることなく続いております。その後の経過を少し順を追って記します。


 



 


2012年は通年を通して衣類や食器、生活雑貨を教会で集めては東松島にある支援センターへ送り続けました。私たちの教会に来られている方のご友人を通して、自治会でも支援物資を集めて下さり、一年を通して約40箱のダンボールの支援物資を送りました。


 



 


 


2013年には、現地の方々も少しずつ物資面では整いはじめ、精神的な心のケアが必要になってきました。そこで、私たちの教会と親交のあるオーストラリアの教会のグループの方々が個人的に支援金を募ってくださり、現地に信仰書など数百冊を寄贈し、図書コーナーを設置することに尽力いたしました。


 



 


この図書コーナーは思いのほか現地の方々に活用され、毎日のように本を借りに来て、返しに来てはまた次のものを借りていかれ、1年が過ぎるころにはすべての本を読み終えられたということです。


 



 


震災後に東松島のアメイジンググレイス支援センターでは、月2回の日曜礼拝が始まりました。そこには毎回20名以上の方々が集うようになり多い時には30〜50名を超える方々が集まるようになっているとのことです。時間が経つほどに心の傷が浮き彫りになっているのが現状です。その処方箋として、この東松島支援センターでは毎日のように、今現在も献身的なボランティアスタッフによる、様々な働きがくり広げられています。


 


 


 


 


投稿者 : mi 投稿日時: 2012-07-13 00:03:51 (1293 ヒット)


Jサーキットというエクササイズジムをみなさんご存知ですか?現在、全日本に50店舗展開している女性のための30分フィットネスジムですが、その他にもリハビリのためなどの多くの医療機器の提供や、エクササイズ指導を行っています。


そのJサーキットのJay(ジェイ)新居社長のご厚意により、医療機器としても多くの病院や施設でリハビリのために活用されている、『オールインワン』という機器が提供されました。


身体に無理な負担をかけることなく運動ができるように開発されているので、筋肉に過度の負荷をかけることなく身体機能を動かすことができます。もちろん、元気な方には、負荷を調節できますので、筋力トレーニングにも有効です。


地域の皆様方にも、ぜひ無料でご活用いただきたいと思っています!


 


■利用方法


現在検討中です。「いましばらくお待ちを!」


 


■費用


もちろん、『無料』


 


■利用時間


現在検討中です。


 


お散歩の途中や、毎日のウォーキングメニューにもぜひ盛り込んでいただいて、お気軽にお立ち寄りいただければと思っております。


 


 


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2011-11-18 12:15:15 (1140 ヒット)

『LOVE for 東松島』

 

 

私たち神愛キリスト教会は「東北を支援し続けます!」と宣言した一貫で、先月80歳の近藤友二さんが東松島へ行き、この度は私(市川牧)が現地入りいたしました。教会に来られている秋山さん(身体60代、心は30代)が、お手製Tシャツ50枚を託してくださり、また近藤さんがたこ焼き360個分一式を現地に送って、私がそれを焼いてふるまう、ということをやってまいりました。

 

 

 

 

 

あの震災から1年も過ぎて、復興は遅いと言われながらも、(確かにまどろっこしいですが)アメリカで起きたハリケーン(カトリーナ)の復興よりは、アメリカ人に言わせると、早いそうです。実際に松島に行くと、ところどころ生々しい傷跡を残していますが、一見するとほぼ平常の動きが戻りつつあるようにも見えます。

 

JRの線路が未だ復旧されていない区間を走っているバスを乗り継いだりして、仙台空港から合計で約2時間半かけて、東松島市陸前赤井駅に到着した私は、歩いて10分ほどのところにある元コンビニの建物を利用して開設された東松島アメイジング・グレイスセンターへ向かいました。そこで、毎日ランダムに物資を探し求めて来られる方々と、最初はものすごく気を遣いながら、でもそのうち気さくに言葉を交わしながら、心がえぐられる体験をたくさん聞かせていただきました。

 

 

 

 

センターで走りまわる2歳くらいの女の子の後を追うのは、その孫をわきに抱えて、「とにかく逃げようっ」と思い、粉ミルク一缶を掴んで車に飛び乗った60代半ばのおばあちゃんでした。娘さんの勤めている高台の病院まで着くと、娘さんが「きっと来てくれると思ってた」と涙ながらに迎えてくれたそうです。そのおばあちゃんは、年齢には不釣り合いな青い袖なしジャケットを着て、「これは震災の時に来て逃げたやつだから手放せないの」と言いつつ、支援物資で大阪から届いた春物の上っ張りを嬉しそうに見つけて帰って行かれました。

 

 

そのセンターでは20代〜30代の3人のボランティアスタッフが、文字通り無給で週5日10時から17時までセンターを訪れる方々の対応に追われていました。スタッフの一人通称HOMI(ほ〜み〜)はまつげに5本くらいマッチ棒がのりそうなつげまつ毛をした茶髪の女の子。でもこの彼女がなくてはならない存在で、支援物資のシップやおむつなど、限りのあるものが取り合いになったときは、どすの利いた声で対応するとか。うん、確かにそういう貫禄ある人もいるな、と実感。

 

 

ちなみに彼女が「ほ〜み〜」

「アタシうまくない」と言いながら

一緒に楽しんでたこ焼きを焼いてくれました。

 

 

最後に忘れられない30代の女性の事を少し・・・。何気なく「どこに住んでおられるんですか?」と問いかけたその女性は、メガネをかけたいい感じの雰囲気が漂う笑顔のステキな女性で、段ボールの中を手際よく自分に合った服を探していました。その女性は「大曲です」と即答えてくれましたが、私は絶句してしまいました。ちょうど大曲地区を見てきたところだったからです。その町並みは無残な津波の爪痕をまだ残していて、一夜明けたその時でもまだ胸がえぐられる思いが消えないでいたからです。すかさず、隣にいた同級生の女性が「信じられん家に住んでるもんこの人」と会話に入ってきてくれて、「この人絶対死んだと思ったもん」と、今ではその二人は家族以上の深い絆で結ばれているだな、という距離感を自然に感じました。大曲地区に残っている家はとてもではないけれども人が住めるような家々ではありませんでした。ひとまず電気も来るし、風も防げるので、残った家の二階になんとか一人で住んでいるというのです。浜に近い家にお父さんと二人で暮らして津波を経験したとのことで、気がついたらトラックの上にいて、一昼夜を一人で過ごし、一週間後にその同級生と避難所で再会したという。「私、一度死んで今生き返った気がする。」と笑顔で語る姿に、ただ目頭が熱くなって、何も返す言葉がなくなって、笑顔でいる彼女の前で泣かないようにするだけで必至でした。

 

 

今も彼女は、そこに住んで生きている、と思うだけで、今の私のここでの生活の面持が変わります。現地の人たちとの語らいが、今を生きることが何なのか、大切なことは、どういうことなのかを教えてくれました。

 

 

「何ができる」も大切だけど、その人たちを知って、今生きている人たちが体験したことを聞いて、その人たちを忘れないことは、何もしていないようでも、大切な何かを届けているような気がします。とぎれないように、届け続けたい。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 


« 1 (2)